ブラームスが創作的生涯のすべての時期にわたって作り続けたジャンルは、歌曲と室内楽曲でございます。とりわけ室内楽曲については、19世紀後半というロマン派の時代においては、それに力を傾注した大作曲家はかなり限られておりますので、この分野でブラームスは最大の作曲家と申してもよろしいでしょう。
1882年の6月に完成した弦楽五重奏曲第1番は、実はブラームスにとって2番目の弦楽五重奏曲でございます。最初のものは20年前の1862年に書かれたヘ短調の作品ですが、これは演奏効果の点で気に入らず、「2台のピアノのためのソナタ」に改作された後、最終的にはピアノ五重奏曲として完成されました。
したがって、ヘ長調の作品はブラームスにとって再挑戦ということになるわけですが、今回は非常に円滑に作曲の筆が進み、ブラームスとしては一気呵成といえるほどの短期間に曲を書き上げることができました。
仕上がりも作曲者にとってきわめて満足すべきもので、ブラームスは出版者のジムロックに宛てて「私は、今までにあなたがこのように美しい曲を私から受け取ったことがないと思います。また、あなたもここ10年来、こんな曲を出版しなかったでしょう」という手紙を送っております。自作をあえて卑小化するようないいかたをすることの少なくないブラームスにしては、珍しいほど率直に自信を表明した書き方でございます。
弦楽五重奏曲第1番は3楽章で構成されております。これはブラームスの三重奏以上の室内楽曲では唯一の例でございます。
両端楽章は通常のアレグロ楽章ですが、第2楽章は緩徐楽章の中にスケルツォ的な要素を融合させた複性格的な音楽で、聴く者に4楽章構成の音楽を聴いたような印象を与える効果をもっていると思われます。
1880年代前半のこの時期、50歳を迎えたブラームスは作曲家としての最盛期にありました。弦楽五重奏曲第1番は、その豊かな楽想や精緻かつ融通無碍な技法において、創作的生涯の実りの秋を象徴する作品のひとつと申してよろしいでしょう。
ここで使用しましたスコアは、オットー・レーマン(Otto Lehmann;1876-1938)という人の手に成る2台ピアノ用の編曲でございます。
オットー・レーマンと申しますと、物理学者や映画監督に同じ名前の人がおりますが、編曲をしたレーマンに相当する人物に関しては、ドイツ版のWikiを調べても該当者を発見できませんでしたから、よほど無名の人と思われます。
実のところ、この曲には、ブラームス自身の手に成るピアノ連弾用の編曲が存在するのですが、当サイトとしては、通常の連弾よりは2台ピアノでやってみたかったというただそれだけの理由で、このスコアを選びました。
弦楽のふくよかさは当然失われておりますが、ピアノで演奏された弦楽五重奏曲第1番、もしお楽しみいただければ幸甚でございます。